産後うつ状態からの脱却

                  新潟市  I/Aさん T君(H26.9.2生)
私はもともと小さい子どもが好きではなかった。それでも夫も私も自分の子どもはほしいと思っていたし、妊娠した時は嬉しかった。ただ年齢のこと(妊娠時36歳)を考えると無事に出産できるか、体力的に育てられるか、母乳は出るか、睡眠不足にならないかなど心配の方が期待より大きかった。育児書は時間の許す限り読み(後にこれが間違いだとわかるのだが)、出産後は大丈夫だと自分自身に言い聞かせた。
出産後、ベッドで休んでいると突然の乳房の痛み。夜になるとますますひどくなり一睡も眠れなかった。これが世にいう乳腺炎かと勘違いしながら時間の過ぎるのをひたすら待った。夜が明けて助産師さんにマッサージしてもらった時、歯を食いしばる程の激痛で今後の育児生活に絶望すら感じた。すぐそばですやすやと気持ちよさそうに眠っているわが子を眺めながら、育児に対する漠然とした不安に押しつぶされそうになることも多かった。夫や家族が毎日のように来てくれてサポートしてくれたが、子どもと二人きりになるとやっぱりネガティブになった。
退院後実家でしばらく過ごしたのち、自宅アパートへ戻った。昼間二人きりの生活。季節は冬、雪が降った。まだ外出するには幼すぎるわが子と私、まるで社会から隔離されているような感覚だった。アパート住まいなので大声で泣かせると迷惑ではないかと心配し、夜はなかなか寝ない。その原因は母乳なのではないかと自分を責めた。抱っこしながらそのまま後ろに倒れて眠ることもあった。なんで泣きやまないの、なんで寝てくれないの、なんでかわいいと思えないの、と悩んだ。女なら誰でも子どもを産み育てることにこの上ない喜びを感じる、いわゆる母性本能と世間一般で信じられているものが私には備わっていないのではないかと自問することもあった。日々神経は疲弊してゆき、精神的・肉体的余裕はなくなった。夫も両親も協力的だったが、その助けを私は自ら払いのけていた。そんなある日、乳房が異常に張り高熱が出て関節が痛んだ。子どもが飲む度に激痛が走った。私は夫に当たり、泣きながら授乳した。もう限界だ、と思った時ふと伯母から聞いていた森川母乳教室のことを思い出し、その扉を叩いた。
緊張しながら訪ねると、優しい笑顔で迎えていただきほっとした。森川先生はまるで行き詰っている全てを見透かしているかのようだった。私の思いを聞いてもらい、「がんばったね」の一言に涙がこぼれた。病院で受けたマッサージとは違い、痛みがほとんどない上に噴水のように高くまでおっぱいが勢いよく飛び出して驚いたことを今でも覚えている。マッサージをしてもらいながら、今すべきこと、しなくてもよいこと、気を付けることを教えていただいた。終わってみると、あれだけ痛かった乳房がすっきりとして、ふわふわになった。感動だった。マッサージだけでなく、育児全般についての些細な相談にも丁寧に乗ってもらえたことも嬉しく心強かった。本当に来てよかった。
そこからは現状を打破するためにとにかく助けを借りまくった。夫に両親に行政に、甘えさせてもらえることは何でも甘えた。ゆっくりお湯に浸かる、子どもを寝かしつけてもらう、ご飯を作ってもらう、家事をする間子どもを預かってもらう、育児や家事の愚痴を聞いてもらう。そのような、活字にするとごく平凡な毎日が今は有難いと感じる。自分だけでなんとかしなきゃと勝手に思い込んでいた頃から、助けを借りてもよいのだと思えるようになったことは私にとって大きな前進である。昔は義務的に授乳をしていたのが、今は息子とのつながりを感じられる大切な時間となった。授乳できる時間は限られている。その時間を愛おしみたい。

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